ゴムボート

水木しげる

ステンドグラス

↓全く「記事」ではないがオモ杯送っていた未来の相席食堂の二次創作を載せます↓

 

金せびっても恥ずかしくないぐらい面白いんでnoteにも載せます!

でもpcからだとはてなの方が見やすい

 

 

*              *           *          

 

 

「大悟さん、どうしてそんなに面白いんですか」

井上から放たれたアリさんマークな質問は、テロップに起こされたとすればすべて平仮名表記だろうってほど直球だった。
その愚問を背後からにわかに浴びせられた75期生の殆どは、真後ろの井上が持ち合わせてない恥じらいを立て替えてやるように羞恥に身をこごめて、幾人かにいたっては釣り上がった自身の肩越しに、こちらを睥睨ときたもんだ。

たちまち凪いだこの元教室で、規則正しく律動していたはずの空調は場を弁えず呻るだけの装置に成り下がって周囲を冷やかしはじめる。この静けさに乗じて同期らが背もたれと座面にできるだけ沈みこんで小さくなろうとするのを見渡せてはじめて立ち見であるのを有り難く思えた。

「どうしてそんなに面白いんですか」
再びおれの真隣から、とはいえ急き立てる様子もカマトトぶっている風情もない愚直な問いが聞こえた。ここが旧四谷第五小学校を改装した建物というのも相まってか、ふと、在りし日の情景がよぎった。算数の時間、毎度挙手より先にまず声をあげ、毎度根本的すぎる質問で授業を小刻み、毎度親身にはなろうとしない先生にその場しのぎのトートロジーでいなされていた小5の井上。変わらねえでやんの。だが、変わらないで居続けることは変わり続けることよりも難しいはずだ。社会生活を送るうえで思ったことを衒いなく投げつけてしまえるのは、いわくありと謗られ断絶されるが、此処、お笑い界という特異な現場においては福音たりえ歓迎さえされる。手前味噌ではあるが改めて確信せざるを得ない、こいつは必ず売れる。売れたらぜってーカッケー車買うし歯列矯正もはじめるんだ。

今しがたまで背もたれの染みにでもなろうとしていた奴らときたら、矜持のひとつでもを取り戻したいのか、あきれた風にせせら笑ってる。相棒が嘲られるほどおれはなんだか誇らしくなった。誇らしく思うことでさっきの大喜利コーナーでスベりまくったのを挽回したいだけかもしれないが、とどのつまりはだ。
どうすれば面白い事が思いつけるのかが知りたくて、逆に言えばそれ以外は興味なんてないんだ。
それと悟られないよう回りくどい質問を昨晩寝ずに考えてきたってのに、まったく徒労に終わったのが心地よかった。そう。ストレートに聞きゃあよかったんだよな聞きゃあよ。さて、おもしろいってなんなんだろう。面白いってどうやったら作り出せるんだろう。
それはこの場にいる全員にとっての真理、知れるのであれば知りたいはずだ。知れるのか?おれは?どうか知らせてくれないか。

大悟さん。


水性のかすれた黒で「吉本興業140周年記念特別講義」と銘打たれたホワイトボードを背に、大悟さんはゆっくり頬杖を外した。中指と人差し指を焦がす手前まで小さくなったアメリカンスピリットを蝿でも払うように銀の薄い灰皿に放って、その太ましい唇をすぼめ、細く長い紫煙を蛍光灯の光と撹拌させるかのようにまぶしつけた。その揺曳が薄まりゆくのを見届けると瞳だけをこちらに下ろし、真後ろに並ぶおれ達を射抜くみたいに顎でしゃくった。「お前、名前は?」

さっきまで井上をあざけ笑っていた面々が、思い出したように身を強張らせたとき引っ込めたスニーカー、革靴のつま先が、パイプ椅子の下で磨きたての床をキュっと一斉に鳴らした。その高音に被さるもはや、叫びだった。DonDokoDonのぐっさんです!」

稲妻の如き返しに釣り合わない静けさが場を水平に穿つ。つまりスベったようだ。
しかし井上はただスベった訳では無い。この平場での役割を瞬時に買って出て、あえて砕けたのだ。素人養成所生しか居ないなら反響無しものもむべなるかな、奴らを買いかぶったことなど無いが、これほどハイコンテクストな立ち回りは控えるべきだった。

意にそぐわぬ惨状にたじろぎ、おれは自分の喉仏が視界に入るほど俯けるだけ俯いてピン芸人のふりをしたのだが、この日のためにおろしてきたコンビ揃いのスパンコールの蝶ネクタイは抜け駆けは許さないとでも言うようにゴールドに煌めいている。
「それ、」
いつの間にか頬杖を戻していた大悟さんは、灰皿が伸ばす狼煙にそう言ったかに見えた。「やめたほうがええな」
直ちに思考を巡らす。やめたほうがいい「それ」とは。大悟さんが推奨するところの「それ」。場違いにボケたことに対してなのか、延いては芸人のプロフェッショナルを志すことなのか、それともコンビで衣装を合わせていることか、どこからどこまでを指す指示詞なのかは、にべもない態度からは推し量れず、願わくばその三択のいずれでもあってくれるなと歯を食いしばったその時、大悟さんから二の句は継がれた。
「もうおるから」

アメスピみたいにあしらわれるかと思った。おどれ誰が誰イジッとんな、と喝を入れられるものだと一瞬覚悟したのに、許してやるように目尻から深い皺を幾筋も走らせ、愚にもつかないボケに乗っかってくれたのだ。まだ舞台にすら立ったことのない素人養成所生の戯言なんぞピシャリとスカし、なお一層すべらせることだってできたはずなのに。先陣切って噛ませ犬を演じたその勇姿を買ってくれたのだろう。

ボケること、芸人を志すこと、この蝶ネクタイ、いずれもやめずに済んだおれの安堵を洩れ聞いたか、此処に在する有機無機問わずすべてがたわんでほどけるのを感じた。改めてまっすぐ大悟さんを眼差すと、全盛期のあのいたずらっぽい笑みをたたえている。(FANYでアーカイブを視聴した)

「おい隣のおんなじ格好しとる奴」
「…!」
「相方やろ?ツッコんだってな」
「え、ああ、」
話しかけてもらえたことに感極まり、なにも返せなかった。情けねえよ。

「もっかい聞いちゃらあ」
さっきよりもアイコニックな岡山弁が聞こえて、急に挽回のチャンスが。井上は降ってきた絶好のトスに、紫電一閃。
DonDokoDonのぐっさんです!」再び懐かしコンビ名ボケのアタックを叩き込んだ。そしておれだって再び戦略的棒立ちに徹する。天丼。大悟さんの世代が好んで多用していた、今日びレトロなお笑いテクニック。 一見するとコスパ重視で同じセリフを繰り返したように見えるが、この天丼とはフレーズそのものの質より、同じフレーズを繰り返したボケ役の胆力を評価する傾向にある。振りに対して同じ返答を繰り返すにつれボケ役の狂気性も増すコスパのいい代物だ。
幾分遠巻きではあるがそこで初めて大悟さんと向かい合えた気がした。

「いやもうおるんよ」

開封前の新しい玩具に目を輝かせる少年のような笑顔がそこにあった
はじめのターンとは打って変わって間の溜めらなかった大悟さんのツッコミに、教室内がうねるように沸いた。中腰で拍手笑いをしている幾人かが、ただ媚びるためだけにそうしているのを見取って、一端座れ、と軽く手招くように手を振った大悟さんはすかさず、場に平静がもたらされるかどうかのその間隙を突く。
「ほんまにちゃんと教えてくれるか?」
溜息まじりに続けた大悟さんのそのうんざりした様子はやけに芝居じみていて、満更でもない様子だ。もはや井上の名など知りたいわけではなく、どこまでこのくだりを引き伸ばせるか挑戦しているみたいに。
だって、念を押した「ほんまに」は符牒で、もはや手すりの付いた「振り」なのだ。そうなりゃちょろいもんだ、まんまとその手すりが導いてくれるその先へ駆けるだけ、井上、ぶちかませ!
「火災報知機です!!!」

口裏合わせでもしたような非協力的、笑うもんかの結託が室内に漂っていたし、薄々勘づかされてはいた。三度目の正直はどう答えようと、選択を誤ったなどとすべらされていたのだろう。
「もっかいぐっさんでいってよかったんやけどなあ」
75期生全員が大悟さんのコメントだけに笑っている一方で、大悟さんの表情は、開封した玩具にあらかじめの単三電池が入ってなかったかのように萎えており、おれは思わず消えたいと願い、目を瞑っていた。身勝手な要求なのはわかってる、おれたち最低でも「それももうおんねん」か、欲をかくと「オンバト世代なんか?」のツッコミを期待していた。
「あ!あとな、それこそダウンタウンとか、ニューヨーク、えーあとは錦鯉とかか、もうある言葉をコンビ名にするんはよっぽど自信か実力がないとむずない?」

「ほんまに火災報知器でいくんか?」

「えーとあの、、、ボケ、」「変えます!コンビ名変えます!」
ボケたんですが、と言いかねなかった井上から無理やり取り次ぎ、大悟さんに恥をかかさずに済んだかに思えたのだが、目敏い大悟さんがおれらのおぼつかない駆け引きを見逃すわけがなかった。

「どしたんな?もしかしてボケとったんか?」
そうです と答えることが烏滸がましいことぐらいわかってたおれらは、頷くかわりに沈黙するしかなかった。

「そうか悪かったのう」

伝わらなければ、ボケてないと同じでこちらの実力不足だ。と自分に言い聞かせつつも、大悟さんの見識の浅さゆえにスベらされたところもあるよな、と誰にいうでもない言い逃れを頭の片隅に追いやっていると、新しいアメスピに大事そうに火をつけながら大悟さんはどちらトーンにでも聞こえる問いを投げてきた。

「じゃあ普通にお前らのコンビ名ゆうて。憶えといちゃるけぇ」

詰められてる。不安になって隣の井上を見ると、同じ心境だったのか、視線がかち合った。これはどっちだ?またしても振りか、それとも普通に答えたほうがいいのか?判断がつかないおれは、立ち見が故、背後には壁しかないがその壁にうづまるようにたれかかり、顎も引けるだけ引き、井上に託した。頼むぞ。

「ん?なんて?のんびり?」

「のんびりトースターズ?おっきい声でゆうて」

「ああ、トースターやなくてコースターか」

「まあどっちでもかまわんけどコースターか」

「はあー、のんびりコースターズかあ、へえ」

決定力を欠き、終始小声になってしまった井上のせいだが、大悟さんが聞き返すたびに声に出すあやふやなコンビ名と、井上から正確に復唱されるおれらのコンビ名(のんびりコースターなんてもの現実には無いはずなのに)が、ひどくくだらない音に成り下がっていったし、実際同期からもダサい音と字面と評判だったものが更に無惨なものへと朽ちてでいく。
正しく発音してくれるようになったとて、とて、なのだが、正しくおれらのコンビ名を憶えてくれたらしい大悟さんは、発声はせずとも口の形だけでコンビ名を反芻しながらなにか思いついたようにこちらへ向き直った。

「あんな、お節介かもしれんから聞き流してもええわ」
そういった前置きはおしなべてお節介だししっかり聞かねばならない助言のため、ふたりして襟を正して耳を澄ませた。
「今どきはどなんなっとんか知らんで?今は知らんんけど、わしらが若手やった頃、最後にズ付いとるコンビは『ダサっ』言われよったなー、今は知らんで?今は逆に新しい時期なんかも知らんしな」お節介を自覚しているからか、フォローとして、時流に疎い老害からのいち意見ですといわんばかりの自虐を添えたのは大悟さんなりの優しさだろう。

ホワイトボード越しの時計を仰ぎ見るように、なるほどと納得する素振りだけは見せたのだが、お節介はまだ続いた。
「あとやぁ、コンビ名長いやん、長かったら略されるわけやけど、おまえら、なんて呼ばれとる?」
井上に頼りっぱなしの負い目もあって、半歩ではあるがおれは前に出た。
「のんスタです!」

「それももうおんねん!」

階下に新しいメトロが開通したような地鳴りだった。立ち見も込みでキャパせいぜい60人のこの室内に300人超の爆笑が轟き、余韻はスーパーボールの如く尾を引いて跳ね回ってる。
その自分由来の余韻をかいくぐって大悟さんは続ける。
「お前らが万が一売れることがあったとしたらコンビ名の由来を訊かれる場面もでてくるわ、そんときにカッコつけてな、テキトーに付けましたって言うパターンもあるにはある。売れる気がないのに売れてるって感じが一番カッコええからな。でもな多少は被らんように話し合ってから決めたほうがええなあ」
「今の子しらんのかな?NON STYLE、縮めてノンスタ言われよったコンビ。2008のM-1で優勝しとるわ」
まさに死角を突かれた。
芸人志望以前に芸人フリークでお笑い表象文化論専攻のおれが知らないわけがなかった。しかも相方の名前は井上。期せずして被りまくってる。

「まあええわ、一応ちらっとでも考えときや」

アメスピを咥えたままの告げられた助言は片手間だったからこそ、やけに柔らかく聞こえすぎて、今生の別れに聞こえた。
「はい、ほかに質問あるやつおるかー」
一斉に手が上がるのを見て自分の務めを思い出したのか、遅ればせながらGAG宮戸(*宮戸洋行ひろゆき→宮戸、と変遷があり、2052年ではやはりというべきか宮戸に落ちつく)が用意していたマイクを大悟さんへ手渡しているその時に気づく。GAG宮戸が今回の司会であった事、そして、今までずっと大悟さんと生声でやりとりしていたこと。大悟さんは受け取ったばかりのマイクを電気シェーバーのように胡麻塩の顎に当てながら、辺りを見回す
「はい、そこの眼鏡かけとる、」
大悟さんが指したその眼鏡が中腰になろうかとしたそのとき

「カンカラでいきます!!!」井上は明らかに誤ったタイミングで新しいコンビ名を言い放った。

「お前それ、オンバトでなぜかオンエア率高かったチャンバラグループやないかい!」
ヘウレーカと喚いたアルキメデスもこんな感じだったのだろう。ツッコミというより得心を叫んだように聞こえた。そして周囲のきょとんとした反応をその身に受けとめて、渡してもらったばかりのマイクを握り直しながら付け足した。
「見てみい!だぁれも笑っとらん!」
らしからぬ自虐に対し、同期らの狼狽えと焦りの混じった支援的笑いが虚しく響くが、大悟さんは気づかぬふりで続けた。
「そやったわ、今思出した、火災報知器ってオンバトによう出とったな」
「ていうかお前よう知っとるな、歳なんぼなん?」
「22です!」
「そこは普通に答えるんやな、まあええわ」
ペロッとしおらしく舌を出した井上のおちゃらけ挙動には触れず大悟さんは尚も語りかけてくれた。
「お前らしつこいからもうワシがコンビ名つけちゃるわ、ごめんな眼鏡の子、もっぺん訊いちゃるけえな」

思いがけぬ提案にコンビ揃って「マっ!?」と驚嘆を叫び、同期らが一斉に味方になったように湧いた。

「えーとな、」一般名詞は避けろと助言をよこした人物からの命名「ステンドグラスでええか?」一般名詞だったし、ズで締められてこそないがスだった。
「最高です!ありがとうございます!」とは言ってみたものの悪くはない、程度にしか評価しきれずにいると「じゃあもうほんまにもう黙っといてな」と告げられた先にあるその視線は、井上だけに向けられたものではなく、おれへも等しく注がれている。
お節介はわかったうえで井上の肘を引き「大人しくしてろ」と耳打ちすると、言われずとも百も承知だナメんなとでも言う代わりにしつこく赤べこみてぇに頷きやがった。

「ほんじゃあ悪かったのうさっきの細眼鏡、なんでも言いや」
らしさ溢れる大味なあだ名はおあずけを食らわせていた詫びとしては充分で、当の細眼鏡も気を良くし決然と立ち上がった、かに見えたのだがどこか頼りなく見えた。
「えっと、さっき遮られたせいか、用意してた質問を忘れてしまったのですが、え〜っと」
「なんでもええで」

「すいませんありがとうございます。」

さすが我らが名付け親。相槌というよりもう抱擁だ。細眼鏡も焦らなくていいよ。
「すいません、なにも思い出せないんで、じゃあ、なんでステンドグラスなのか教えてください」
なんて気の利く細眼鏡だ、まだ先の未来になるかもしれないが、アメトーーク、ステンドグラスと同期芸人が実現したら是非とも呼んでやるっきゃないね。
興味ないやろ、とちいさくツッコんだ名付け親はどこか小っ恥ずかしそうではあったが、「まあでも、なんでもええってゆうたからなあ、答えたらぁ」と義理堅く覚悟をあらわにした。

「あんなぁ ワシ今探偵ナイトスクープだけに絞っとるから月イチしか本土に行っとらんのよ。M‐1あったころは年末も行ってたけどな。いまは月末に大阪まで飛んで4本撮ってトンボ返りよ。もうええ加減辞めよか思うとる。依頼も二種類だけ、蓋が開かんから開けてくれと、隙間にもの落っことした拾うてくれ、今も昔もこれだけ」
千鳥がダウンタウンぶりに天下を獲ったのはあからさまなわけで、ともなればここまで露出をセーブしたところで痛くも痒くもないのだろう羨ましい生き様だ。

「そしたら局長やない時はなんしよんなって話になるわな。
もうなぁ、ずーっと島で硝子切りよるわ。工房籠もってな、オイルカッターゆうの使って色んな形に硝子切ってパッチワークみたいにしよる。今ハマっとんのがステンドグラスやから、あいつらにそんまま付けたったってだけや」

「出来上がったステンドグラスはどうしてるんですか」
細眼鏡は興味こそないが、勝手な責務に駆られ、宮戸を差し置いてブン回す気らしい。
「教会におくっとる」

「え、教会?教会って屋根にプラスが乗ってるあの教会ですか?」

「十字架な。結婚式場とかにもおくりょーるわ」
「おくるって寄贈の方の贈るですか?」
「そうや。」
「ワシの島、砂やったらブチあるけぇそれ焼いて硝子から作りよるんよ」
「花瓶やら片口やらいろいろ作りよったけど、今んとこステンドグラス落ち着いとるわ。」

「作るんが好きなだけでな、完成してもうたら邪魔なだけやから、しょっちゅう贈りつけとるわ。作りすぎて島の広さがワシがガキの頃の半分以下になっとる。」
「そうなんですね。へえー個展とかやってほしいなあ」

細眼鏡、島が減ったってとこ、反応しようぜ。それに、間繋ぎとはいえよくもまあいけしゃあしゃあと心にも無いことを言えたもんだ。

「そういう話はなんべんも来たけど断っとる」
「え、どうしてですか?もったいない!」
「しゃーない事やけどな、芸能人の個展ってなったら、良くも悪くも個展のタイトルより先に名前が出るわけや。わしやったら千鳥大悟の大個展!とかおもんない太字謳い文句が貼り出されるわ、そうなったらもう、作品そのものの評価は二の次や、いや、二の次ならまだええほうや。」
「そんなことないですよ僕は大悟さんのステンドグラス見たいです」

明らかに大悟さんの表情に鋭さが戻った。
「おどれワシの話聞いとったか?」
ドスの効いた咆哮を間近に受けたマイクがたじろぐようにハウリングし、その音波をモロに浴びた細眼鏡は金縛りにかかったが、大悟さんは気にもしていない。
「わしが作ったで間違いないけどな、それが作品の足を引っ張りよんねん。わかるか?」
教室内の我々は大悟さんの言わんとする意図を汲むため神妙な顔で続きを期待する
「ようわからんプロモーターみたいなんが来て、そういう話を持ち掛けてくるたんび、『匿名やったらやってもええで』って条件も出っしょるけど、ほんならええです、って皆すぐ帰りょーるわ。」

天下を獲った大悟さんにしかわからない苦悩、共感出来るわけではないが理解ならできる
バイアスのかかってない状態の鑑賞者に作品を見てもらいたいのだろう。なんと無謀なことか、、、。
金縛りが解けぬ細眼鏡は左右に座って居た同期らによって、折り畳みの長机がそうされるように入り口傍の宮戸が立つ演台の後ろへ片付けられて行く。

「他におるかー」気圧されて重くなった室内に大悟さんの呼びかけが響く。この潮目を読んだGAG宮戸が「それじゃあ一旦、休憩でも、」と本来の業務、進行を再開しようとしたその時、最前列から「チョット待テェ!!」と音割れで粒立ちまくった電子音が鳴った。

それはこの講義が始まる前、特典にと吉本社員から参加者全員に渡されたヴィンテージな玩具、当時500円でバンダイガシャポンから発売され、現在も未開封であればプレミア価格8万円のちょっと待てぇ!!ボタン。それをあっけなく開封し巧みなタイミングで鳴らしたのは同期の星、可創ちゃん(元ネタであるフワちゃん(不破)の反対)だった。皆転売するつもりだったのに、さすが上沼恵美子の再来といわれるだけあって怪傑だ。

「そもそもなんだけど売れたくて芸人になったんだよね?売れるってそういうことじゃないですか?大悟さん。」最前列の真正面、ほぼ相対する位置で立ち上がりもせず問うている。

「何じゃお前」

大悟さんが知らないわけがなかった。
可創ちゃんといえば在学中の身でありながら昨年幕を閉じたラストM-1で優勝、のみならず昨年幕を閉じたKOCで優勝、のみならず、昨年幕を閉じたR‐1を優勝をした可創姉妹のツッコミだ。そのM-1にて、松本人志の後釜席で審査を務めてたのは大悟さんだった。
「ご無沙汰してます、可創姉妹の可創ちゃんと隣のこいつはピーポくんです」

「えらいオレンジの相方やのう」
「去年のM-1でもおっしゃられてましたね。」
「ッピッピーー!!」
二頭身のピーポ君がパイプ椅子の上で跳ねながら警笛を鳴らしている
「ここは禁煙だと訴えてますよ」
「知らんわ。で、なんなんな?」注意をよそに、ピーポ君に副流煙を吹きかける大悟さんは、威勢よく警棒を振り回し始めたピーポ君へさらに煙を吹きつけて楽しそうだ。

「大悟さん、いや千鳥さんって、いままで頑張って登りつめ、それを世間から認められて天下を獲ったわけですよね?」
「そうや?未だに言われるわ、あんなわかりやすく天下獲った芸人おらんってな」「でもさっきは匿名になって作品だけを評価してほしいって言ってましたよね。」
「まあ、ステンドグラスに限っての話やけどな」
「それってストイックにきこえますけど、贅沢すぎる要求ですよ!」
「…?」
「売れに売れて天下を獲ったにも関わらず、あまつさえ韜晦したいだなんて、あなたはもう無名のころの千鳥には戻れないんですよ!」
「…」
「大悟さんが私達みたいな若手の頃、こう息巻いてたはずです、天下獲ったるんじゃ!って」
「……」
「それが叶ったならその権威をアコギに利用しまくって、我々後輩に夢を見せるべきじゃないですか!?」
ピーポ君がそうだそうだ!といきり立てる青い触角を眺めながら大悟さんは、脇に追いやるみたいに紫煙を吐きつくし、まだ十分長かったアメスピを灰皿に押し付ける。垂直に皺を重ねるそれが腕まくりのようだった。
「…あんなあ、お前ら、М‐1獲ったしKOCも獲ったんやろ?ほんならいずれ天下獲るやろうからゆーといちゃるわ」
早まって気をよくしたピーポ君がパイプ椅子の上で素早く敬礼を繰り返している。

「権威っちゅうのはな元々クランケだった奴をドクターに変えてしまうんよ」

青い触角がこの場を代弁するかの如くハテナの形にしなり、先端の銀杏みたいな粒が音を立てずに揺れている。
「売れとうてしゃあなかったのは間違いないし、実際売れたしな、でもやぁ、はなっから権威が欲しかったわけじゃあなかったんよな」
「相席ですか?」可創ちゃんが慰めるように訊ね、大悟さんは無言でゆっくり頷いた。

 

「相席食堂がわしら千鳥の権威性を加速させたところもあるなあ」
可創ちゃんが訳知り顔で深くうなずく傍ら、ピーポ君とおれの相棒は腕組みしたまま依然としてハテナを浮かべたままだ。
「ですよね私はリアルタイム世代じゃないけど、アーカイブでならすべて見ました。
あれはおもしろの読み解き方を提示し過ぎたし、くだらなすぎる事でも千鳥が面白がってるのであれば面白いものであるという調教を、芸人のみならず素人にも施し過ぎてました。」
「そうやな、当時主流やったストロングな大喜利とかプロがやるテンポのいい掛け合いとは対極の、ゲスト旅人のほころびを摘まみ上げる番組やった」

おれだってアーカイブぜーんぶ見てんだ。あの番組は伝説だ。だが、千鳥のおふたりの権威性がバーストしちゃって世間に変革を与えてしまったんだ。
まさか無謬だと信じられていた『面白がるという視点』。それ自体が脅威と見做されるとはあの時の千鳥さんは知る由もなかったんだ。

「打ち切りのきっかけになったのってゲスト旅人の大御所俳優がOA後にブチギレたってのが噂として有名なんですけど、実際のところって…」新世代の天才が意外にもゴシップになびくのだとわかって親近感が湧く。
「名前は言えんけどその通りや。向こうの事務所も上手く伝達出来てなかったんやろうし、俳優本人もどういう番組か知らんまま普通の旅番組やろ思てオファー受けてしもうたんやろな、なによりわしらが揃ってボロクソに言い過ぎた。本来であれば暗黙のセオリーにしとった、ノブがキツめのことゆうて、それを受けたワシがそんなこと言うなと諫めながらゲストの褒められる部分をこじつける感じに抽出するんやけど、その回に限っては俳優も編集もあまりにも酷かったから、ノブに乗っかってもうたんやな。でもまあ、おもんないものをおもんないって言うだけでスタジオでウケまくったわけやからその日はええ仕事したぐらいに思とったわ。ほんでその俳優から『欠席裁判が行われてるぞ!』っていうキレ方されたんよ」
同期全員とGAG宮戸がネットにも載ってない裏話と千鳥の巧みな展開メソッドを本人の口から訊けたことに嘆息を洩らすなか、大悟さんの独白は続く。
「正直な、ゲストが後んなってキレてくるぐらいのこと、相席チームはみんな想定しとったし、なんやかんやでキレた俳優本人とも上手いことケリは付いたんやけどな、まあネットやな、ネットや」「そうや、お前らの親、ミレニアル世代ならわしらがあの時ネットでどんな燃やされ方されたか覚えてるんちゃう?」
「うん、私パパとママから聞いたことある。そこから『面白がる』という視点の脆弱性を指摘するムーブメントがネットで広がったって」
「無自覚やけど結果的に『気づき方』を提示する立場になってたわけや、最初はワシらが勝手におもろがってただけやったんやけどな」

「皮肉ですね。千鳥さんから気づき方を学んだ奴らが、千鳥さんの面白がるという視点の権威性に気づいてしまったわけですから…」
しばらく返答を待っていた可創ちゃんをよそに、大悟さんはふらりと立ち上がり、GAG宮戸だけに目配せし、GAG宮戸は意を決したように本講義の真実を白状しはじめた。

「予定ではこの質問コーナーが終わり次第、大悟さんによる平場における立ち回り極意を伝授して頂くことになっていたのですが!なんと!これから!来月復活する相席食堂に向けた青田買いオーディションを行います!!」
サプライズが過ぎるビッグイベントに同期全員が、もちろんおれ達コンビだって喉を捻挫したみたいにひと声も上げられず固まるしかなかった。まじで?
「あれ!ここでワッ!とみんながざわつくかもと思ってたんですがね!びっくりしすぎてそれどころじゃなさそうですね、、大悟さんだけに、大誤算ですね、なんてね!…」
GAG宮戸の軽妙なユーモアに「嫌いやないのう」の一瞥を送った大悟さんが付け足す。
「青田買いゆうても旅人側やなくて、ノブの席に座ってもらうけぇ」
途端炸裂した周囲のどよめきに眩暈が止まらなくなった。錯乱したピーポ君も実弾を天井に撃ちまくってるもんだから蛍光灯の欠片も降ってる。そりゃそうだ、ノブさんの席!?だと!?このパニック状態にあってか、GAG宮戸の捌きが一際頼もしい「ちょっと!場がエキサイトしすぎてるで!一旦休憩でもはさみましょうか!ね!そして10分後ぐらいにまた再開しますんで!みんな一旦外出て!」

「ちょっと待てぇ!」
初めて本人から発せられた鶴の一声ならぬ千鳥の一声に当然すべてが静まり返った。
「いやもうスタジオまで移動するわ」ただでさえひん剥いた目をさらに大きくさせたGAG宮戸は正気ですか?と大悟さんを眼差すと、サラピンのアメスピを挟んで伸ばしているその右手を認め、その右手の先を追う。GAG宮戸の瞳に写ったのはおれ達だ。

大悟さんがこちらを手招きしている。

「来ぇ(けぇ)ステンドグラス!」
治まらなかった眩暈に身をあずけ、そこからの記憶はない。

気づきゃABCテレビってなもん。Amazonプライムで見覚えのあるこのセットは相席食堂。
すでに井上がちょっと待てぇボタンを挟んで隣の大悟さんと共に座っているときたもんだ。

スタジオ脇の大きなカメラや見たことない機材が吐き出すとぐろのわずかな隙間で棒立ちのおれは、誰にともなく独りごちていた。可創ちゃんではなく何故おれ達なんかを大抜擢したんだ…。その言葉を拾ってくれたのは隣に居た名も知らぬスタッフだった。
「『あの場で一番おもんなかった』かららしいよ」
なんつうか、大悟さんらし過ぎるぜ。

「3.2.1」とディレクターなのかプロデューサーなのかはよくわからない大人のカウントダウン。事前に教わったわけではないのにおれはグッと息をひそめる。

奥田民生が相席のために作ってくれたおなじみのテーマソング。ついに始まった。

「お誕生日おめでとう 大トニー
大トニーさんなんですねー」
「誰お前!?」椅子を大げさに引いて大悟さんは慄いて見せた。もう面白い。

「吉本の現会長大トニーさんおめでとうございます!」
「まあ確かに今の会長やけど、誰かようわからん奴が何を言よんな!」

ひとしきり井上の紹介も済み、二人が互いに向かいのモニターを見つめる。

日本をとらえたグーグルアースから始まり、ぐいとズームイン。千葉の浦安付近へフォーカスしていってるぞと悟った大悟さんが、すかさずゲンコツでちょっと待てぇボタンをシバいた。

ちょっと待てぇ‼

おれもまさかと思った。井上は案の上ピンときてない。
立ち上がった大悟さんがスタッフ一人ひとりに答えを求めるように見回す。
「ノブ!?」「ノブちゃうか!?」
そうですと答える代わりにニヤつくスタッフに納得し、大悟さんはヒップドロップのごとく席につく。
「ちょっと、はよ流してくれ!」
また奥田民生の曲が流れ始める、場所はそう、千葉県浦安市
旧名ディズニーランド、現ノブ邸であった。

ちょっと待てぇ‼

井上も勤めを果たそうとボタンを押していた。

ちょっと待てぇ‼
「マジか!ノブ決定やん」
「ウソっ!?復帰されるんですか!?」


ノブさんは件の炎上後、「世間のクセがすごい!愛想が尽きた」とX(旧Twitter)とインスタに言葉を残し、ディズニーランドを丸ごと買い取ってセミリタイアしたのだった。そのノブさんが!うっすら期待していたとはいえまさか旅人としてカムバックしてくださるなんて!

VTRの中に観客が居ない遊園地が映っている。綺麗に剪定された花壇越しにミッキーカチューシャを付けた人物がぼんやり見えた。
大悟さんがボタンを押さず呟く「ノブや」

人物にくっきりピントが合うかどうかのタイミングに聞き覚えのある声が聞こえた。
「大悟~!!!」

ちょっと待てぇ!!
「ノブぅ!」

ちょっと待てぇ‼ちょっと待てぇ‼
「おいカラス無茶苦茶飼うてんのか!」
まるで大悟さんの声がリアルタイムに聞こえたかのようにノブさんが話し始めた。
「今なあ節約しよるから、カラスとかハトが嫌いな音出せてないんよ、もう見てみぃコレ!園内好き放題!!ッシッシどっかいけ!ほら!」
大悟さんが机に突っ伏して笑っている。

「ほらワレも手伝わんかい!」
ノブさんが着ぐるみとかではない本物のピグレットの頭をファストパスでしばき、ケツを蹴飛ばしてカラスの群れに向かわせている。

ちょっと待てぇ‼
「なんやコレ?バンクシーの絵か?!」
大悟さんの見立ての上手さは相変わらず鮮やかで一切衰えてない。
退散していくカラスへ向かってピグレットが手を振ってる
「豚がカラスにバイバイすなぁ!」
ノブさんのがなりの切れ味だってさながら現役だ。

笑いが止まらず椅子から離れた大悟さんが、昔ツボに入ったノブさんがよくやってたでおなじみ、セットの入口の曇りガラスをバンバン叩いている。気づけばおれは涙を流していた。

笑い疲れた大悟さんはゆったり余裕をもって席に着くと、しみじみとアップのノブさんが映ったモニターを前のめりに眺きこみ

ちょっと待てぇ‼を打ち鳴らした。
大悟さんはモニターに向けていたその柔和な顔を井上に向け、そうや、お前の質問に答えてなかったな、「なんて質問やったっけ」と振った。
丁寧な振りだ。普通に言ってくれよ井上。
「そういえばそうでした」と答えた井上もなぜかちょっと待てぇボタンを押している。

「大悟さん、どうしてそんなに面白いんですか」

大悟さんは井上の目をしゃんと見る。

「ワシがおもろいんは、

みんながおもろいからや」


ピンと来てない顔を目の前に、大悟さんはプッと小さく吹き出し

 

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さようなら