ゴムボート

水木しげる

アーメントーーク

 いままでくらった職質って「やれやれまたか」の趣を浮かべたニコニコうんざり顔で余計な抵抗せずに応答してたら迅速に済んでた。困難な世だ。今回のは首から裾まで全身隈なくはたかれるやつをやられた。なんなら家にいらしてくださいよぐらいにノーガードで応じてやってんのに、持ってるもの全部出してくださいってのも言われ、それはね初体験だったので感動した。ブログ説明のとこ職質に変えたんで今後職質の話題しか発信しません。

身体をはたかれてる時アメリカみたいだなって思ったので「アメリカみたいですね」と表したその言下に、くだらない例えを出してしまった後悔と、なぜおれがこの場をはからい、間を埋めようとしてんだ?慎ましく健気で心優しき人間だな僕ってと思った。警官がパトカーを停めてインタビューに駆けつけたくなるほど惹きつける何かを発してるぐらいだから無理もないか、しかしそれが社会生活していく上で枷となる場合もあるのだな全員死にやがれ、の怨念を餅や愛想ぐらいばら撒こうとしてたら「はは、日本もやるんですよ~」だって。うるせえ喋らずに仕事しろ。って勿論声には出してないが思ってやった。やっつけの空笑いができる程度に気を使える頭脳があったなら最初っから「こんにちわー ちょっと自転車見させてもらっていいですか?」って止めてくれるな。その点検ってのも結局建前で実際はおれの素性とこれからの行動を知りたかっただけか。

「いままで職務質問って受けたことありますか」と尋ねられたおれは、路地なんて歩くのはもってのほか、もう昼の埠頭ぐらいしか出歩いては行けない怪異なのだなと諦念しながら「むちゃくちゃされますね」と正確な情報を無償で供すと警官は続けて質問をなげた「それはなんでですか、自転車をか」「人相ではないですか」

おれは警官が質問を言い切る前に自らを卑下してみせた。自らの不審を自覚してる不審者から、自虐コメント引き出させてしまった己を悔いたまえ、とばかりに。バツの悪さに曲がっていく顔を拝みたかったのだが、期待ははずれ、そのかわりに、制帽の短い庇の下で引きつって奥行きのある顔を見た。

「気の毒に」おれにはそんな表情にみえた。この顔には見覚えがある。

昔ジャケットを買いに都市の服屋に足を運んだ時のこと「物凄く似合ってますよ!」と女の店員がそそのかすものだからおれは「たしかに服はカッコいいんですけどね!着てる本人がこれなもんで」と、笑かしたい一心から自虐を発したのだが、女の店員はうんともすんとも返してこなくて、酷い思いをさせてしまったとその場で気づいてから数年は反省した。まんまと服は買った。

知らねーやつの急な自虐ほど始末に負えぬものはない。自虐も押し付けてしまえばただのかまってちゃんだ。おれはそれを学んだ。学んだからこそ警官へぶつけた。健全ではないセルフパロディはやはり憐憫しか誘わない。警官はもちろん自戒へと誘われず、気の毒に、止まりで終わった。停まっていたパトカーからもう一人の長身の警官がパトカーから降りてきて、また同じ質問を繰り返してきたので、そこでは自虐なしのプレーンな返事をした。その長身警官に体をはたかれ、「アメリカみたいですね」を引き出されるという辱めを受ける。財布の中も漁られた。「現金もってないんですねー」だって。クレジットカードもってるからな。

たいした点検もされなかった赤い自転車に乗っておれは唾棄すべきこの世を呪っていた。耳鳴りを意識してしまって顔がよりしかめっ面になってるのがトヨペットのガラスを見ずともわかる。このままではまた職質を受けることになるため、交通量の多い広い道へ出て家の方に走った。それとも山に入って片眉落として鳴りを潜めるか。

『諦めたらそこで試合終了ですよ』ってさ、試合に出てる事を前提にしているけど、その試合にすらエントリー出来ないやつはいる。「靴下脱いだら素足ですよ」ぐらいしょうもない言葉だ。

 

おれはただ解体されようとしている夢射-MUSASHI-を撮っていただけなのに。

最寄りに山がなかったので、やむなく家に。戸を開けると急用であったかのように猫を抱きあげた。おれはただ生きていただけなのにそれを咎められたと伝える。返事がないのは、この人生がドラマやマンガではないからだ。肩口に前足をかける猫が、借りてきたわけでもないのに静かだ。代わりに「そうか」でアテレコした猫を降ろすと小走りに駆けて皿の前に座る。その冷血に餌を与え、毛だらけになったスーツを脱いでいると、隣家のベランダから少年のUSAが聞こえてきた。窓もカーテンも締めてるのにたいした声量だ。これがニヒリズムか?

おれは困難なので怒りや眠気を感じると常に24時間鳴りっぱの耳鳴りが輪をかけて大音量になる仕様になっていて、そういうときはどんなに深夜でも外出し環境音に耳鳴りをさらってもらうようにしている。コツは、耳鳴りがなってることを意識しないことだ。ってことさえも意識してはいけないことだ。

今年はなぜかまだ寒くない。部屋着に上着を羽織っただけで出歩く。バス停のそばを通りかかるとき、普段から視界の隅に漫然な模様としていだけの認識にとどめていたあるものが、しかと輪郭をもって目に映り込んだ。

「ZINE?」

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いやZINEってやつよりかは主張が少ない、だがしゃんと製本された冊子のようだ。表題をはじめてしっかり読み込んでみると「生命ミ光」と読めた。

 

実際のところは「ZINE?」と疑うなんてタイミングなどなく、「おや、あれは宗教のやつだ」ってすぐ気づいたので『ZINE?』って空目した風に綴ったのは脚色という高等テクだ。僕はDPZ新人賞で参加賞をもらったほどの達者なので、こういうおふざけをやっていいが、入選経験のない凡夫はむち打ちになるほどスベるのが目に見えてっから控えたほうがいいね。「フォトコン?」でも良かったのだが、これは的を絞りすぎてて伝わりづらいと判断したため、大衆的なウケに間口を広げて「ZINE?」とした次第だ。ちなみに、夢射-MUSASHI-も職質された日とは別に撮った写真である。更にちなむと、このように急に枠を外して俯瞰視点から手口を開陳するやり方は、読者を興醒めさせてしまうのでやらないほうがいい。

この世は無意味、この世はクソ。この世はゲボ。おれがこれらのバリゾーゴンを思考の癖、人格の根としてきたその経緯には、ギリギリまで神を信じていた清い背景がある。反抗期も直しそこねてこのとおりだ。よっておれはこの冊子との邂逅を神の導きなどとは捉えない。自らから見限ったはずの神に、もう一度チャンスを与えてやってもいいぜという心持ちが、OPP袋に包まれた生命ミ光一冊を引きちぎらせた。

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公共性の高い景観が表紙になっているのは抵抗なく手にとってもらうための配慮だろう。そして控えめなサイズの副題を見ると、これも直接的ではなく控えめに信仰にまつわる内容を示している。ひっくり返してみると驚きの光景が広がっていた。

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イスラエル飯の紹介がこちらもカラーで展開されていた。

 

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長年一位を死守してきた面白三文字「せいろ」は、あっという間に「フムス」の後続に退いた。こんなおもしろ三文字があったなんて。まさに聖書よろしく、目から鱗、耳から鼓膜、喉から仏だ。おれはふてくされてるからこそ、また神を、絶対的な「意味」を信じたくなった。「フムス」のような圧倒的な「意味」に喜べたみたいに。おれももう大人だ、虚無主義を信奉できるほどの青さは褪せた。くわえて虚無に耐えうる精神力も尽きつつある。

そうだやっと認めることが出来た。この人生がマンガやドラマではないから、マンガやドラマであって欲しいと望むのだ。本質的には誰もが「ひとり」であるのに、思慮浅い歌手が口々に「ひとりじゃない」を埋め草みたいに歌詞に入れるみたいに。

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再度ひっくり返し、表紙を開いてみると、聖書のある一節が載っていた。記されているこれが事実だとしたら、主というのはパイプ椅子にでも括り付けられているのであろうか、聞くだけ聞いて救済してくださらないというのは何事だ。と昨日までの自分なら激昂していたであろうが、「フムス」を知ったからでしょうか、主もタスク管理とか買い出しとかに忙しいんですかね、と慮る気持ちが芽生えていた。更にページを開くと

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壮観な見開きに胸が空くのを感じた。

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とっておきの情報を左隅に見つけた。琵琶湖に行けば神と出会えるらしい、今すぐにでも行かねばならない。さらなる新情報の収集のためまたおれはページを捲っていた。神の電話番号はどの隅に記載されている。

活字を読むのが嫌いなのではあんま読んでないが、いつの間にか重要と思われる箇所にサイドラインを引いていた。「召天」という言葉を見つけ、意味を調べてみると信者の死を意味するらしいということもわかった。

頻出する「使命」という言葉を見つけた時、母のことを思い出した。カトリック教徒をやめてさらにニッチで聞いたこともない宗派に改宗した母はそこで伝道師となってからというもの、すべての用事を「ミッション」と言っていた。それに、自分と同じ教義をもってない無宗教者や異教徒を、ハリーポッターでいうところの「マグル」みたいに別称で呼んでいた。マグルに差別的な意図は含まれてなかったと記憶しているが、母は明らかに差別として別称を使っていた。独自の教義に従い、白髪も切らずに太ももの中程辺りまで伸ばしていた。

おれは冊子の捲れば捲るほど自省に向かった。神や天使を身近に感じたことがないから、屈折した形で神の応答を期待してきた。それが神への罵詈雑言だ。おい聞いてっかノロマ、クソバカ野郎、チンピラ、たまごっち、ギャオッピ、ラジコン等などと罵ったことによる応答として、天罰を与えて欲しかった、それで神の存在を認識できると思っていた。

あんまり写真を載せると関係者に追われて粛清を受けるかもしれないので控えるが、火渡りのイベントもイベントもやっているらしいことがわかった。参加信者はたぶんトランス状態なので熱さを感じずにいられるらしい。

そういえば日曜のミサにも通わされていた。ミサは終盤になると短い竹竿の先に赤い袋を付けた、献金回収アイテムをもった信者のおじさんが教会内を練り歩く、自分たちの前に伸びてくる赤い袋に信者たちが適宜、小銭、お札をいれていた。

 

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なんと創作童話のコーナーもあった。毎月創造しているのだろうか。

ケビンのバイオリンを要約しよう。ヨーロッパの田舎町で祖父、祖母と共に3人で暮らしていたケビンは、口笛のうまさを買われおじいさんにバイオリンを買ってもらう。急に時は流れ、ケビンは今夜が山という祖父の横で床に2つの水たまりができるほどの滂沱の涙を流しながら別れのバイオリンを弾く。翌日祖父は天に召される。また急に時は流れ、外国の音楽学校に通っていたケビンは不慮の事故で左手を怪我する。また急に時は流れ、ケビンはある屋敷の使用人として働いていた。音楽家へ道を絶たれたショックから感情を失っているケビンはこの屋敷に引きこもりのお嬢様がいる情報を耳にする。そのお嬢様は飯も食わずに衰弱しているらしいが、自分には関係のないことだ、と働いていた。ある日の明け方、祖父が夢に出てきて2つの美しい玉を渡してくれる。それは昔ケビンが床に落とした涙で、目覚めるとケビンは感情を取り戻し、バイオリンを弾く気が起こり、屋敷の庭で弾いていると、引きこもりのお嬢様が出てきた。やったじゃん。という話だ。

ケビン。人格もさほど与えられず、設定に振り回された人生だったんだねケビン。

結局ケビンはどうしたらよかったのだろうか、フムスを知る前のおれならこう一蹴しただろうね「生まれてきてしまったのが間違いだ」と、しかし今のおれは昨日のおれではない、自分の無意味は誰かにとっての意味であることを知ってる。じゃあこう助言しよう。「神への祈りが足りんかったから事故ったんや包帯変える時間あんなら教会行って来い」

信仰という杖の支えが無ければ生きていけない人がいる。神という物語が無ければと救われない人がいる。全てには意味がある。意味のないものなど無い。

ケビン。ぞんざいな物言い悪かった。ちゃんと言い改めよう。設定に振り回される前にに振り回してやれ。おれは、いや私はそうするよ。

私は、私にしか聞こえていないこの耳鳴りを、私にしか聞こえないのをいいことに強く意識し続ける。これも意味があるはずだ、と。この耳鳴りを、この耳鳴りは、神の声だ。そう設定した。

ほとんど夜みたいな早朝になんだ。やかましい。窓もカーテンも締めてるのにたいした声量だ。

 

 

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 コンコースの厚い柱の傍でいま、唯一の正常者がわめいている。

 

 

  さようなら