ゴムボート

水木しげる

呪術廻戦

 

毎回、初出であれと願いながら書いてるが、今回は確実に書いたことがある高校のときの話をコピペでなく改訂し書こうと思う、だって好きな話だから。

 

 

日曜日、暇な私と暇なn岡と暇なs村の仲良し3人での鼎談の末、実家がうどん屋のy山んとこいこうぜと決まった。

大人びて金をおとしに行くとかじゃなく、アポ無しで顔を出したら面白いだろう、といった高校生なりの直截でてらいのない内輪ユーモアといったところで、月曜日にクラスで話題にしたい、ついで美味けりゃ充分だねの気持ちで向かった。

y山うどんに入店するなり私達は。y山くんおりますか?ぼくらy山くんと同じ科、同輩なのです。と早速打ち明けたが、y山はでかけていた。うどんを作るy山似のy山の親父だけがいて、私達3人がっくしだったが、ほしたら帰りますわバイQ~、と去ることが厚かましいことぐらい工業高校だとはいえ3人共わりかし知っていたし、日曜の真っ昼間だってのに今しがた入店した私ら3人以外他の客は見当たらなかったため、なくなくカウンターで横並びに座し、一品づつ頼むことにした。他の二人のことは忘れたが、私は、きつねうどんを頼んだと思う。

介護用のうどんなのかというぐらいコシがなかった。どうにか線の体を維持しているだけの濡れた小麦粉。出汁も市販の3倍濃縮昆布出汁みたいなを8滴落としただけぐらい澄んでいて無味だった。旨さもまずさも無いだけあってか、腹に恬と居座る感覚だけがあって、帰りの自転車を漕ぐ度持ち上がる胃の腑の異物感が不快だった。

翌日早朝、y山がいっちょ前に「昨日喰いに来てくれたらしいあんがとな」と仲良く談笑していた我々3人に謝辞を伝えにきた。そしてだまってりゃいいものを、次いで「昨日晩飯のときおやじがな『今日、メガネの気持ち悪いオタクみたいなのが来とったぞ』って言よったわ」と、私が昨晩の家族団欒の種となった旨を伝えてきた。

「n岡は裸眼、s村はコンタクトやから、おれのことやねワハハ、あ、うどん食ってるときにメロンソーダ注いでくれてたけど、おれだけ断ったから根に持ったのかな!」とその場で明るく振る舞ってみせたが、そこから私の怒りは一ヶ月は続いた。

今となっては隔世の感も堪えないが、当時『オタク』と名指されるいうのは非常に不名誉なことであった。それは圧倒的蔑称であり、そう認定されたら最後、迫害、入墨刑のうえ市中引き回し、石打ちで腫れ上がった体のまま島流しといったほどであった、と当時の私は認識していたため、とんでもない愚弄をされたと気を失うほど憤怒した。その晩から一ヶ月超。腹の底からこう祈り続けた

「死にやがれ」。それはy山のおやじに対しての呪詛なのだが、繰り返しながら、一抹の情けが覗き込んでくる。はたしてこの悲願が成就された場合、y山自身にも関わってくるのではないか?y山の親父の不幸を願うというのはy山の不幸を願うに等しいよな?などと思ったが、それさえも邪念だ知ったこっちゃねえぜと日がな一日y山の親父を呪った。

y山に対しての情けをいっとき抱いてしまったせいなのか、y山のおやじは死にはしなかったが、見事y山うどんは3ヶ月後にはつぶれてくれた。あの味とあの不況ぶりでは私が呪うまでもなくとうの前から閉店は決まってただろうが、本当にいまだに、呪ってよかった~と魂の奥から思ってる。

 

 

さようなら