だまれ解ってる。私はね、自分の問題点を完全に熟知している。おれといえばコレといった一点突破できる槍を磨いてないってことだ。節操なく絵画も文字もアニメも漫画にも手を出して全てのパラメーター上限を満たしたい不埒者だ。ブレイクするやつってのはもっぱらあるひとつの長所をルーティーンによって先鋭化させれる奴だ。って事をおれが知らないとででもおもってるのか。
服、好っきゃわーって時期があって布とミシンを買ってズボンを作ったりもした。ズボンは一応様になったが、上のTシャツは安かった汗を吸わんカーテン地で作ったせいか着るに耐えれるものではなかった。ロゴデザインにハマった時は楽しすぎて有給取って家にこもり、永遠にロゴ的なものをIllustratorで作ってたらパソコンがぶち壊れて瞬間やる気をうしない、壁紙にしていたおもしろ記事大賞の授賞式会場で撮ってもらったまんしゅうきつこ先生との2ショット画像も霧散した。お会いできた時、読んだことないのに「あの酒のやつ読みました!」とタイトルが出てこなかったので至極ぼんやりとアル中ワンダーランドのことを伝えるとむちゃくちゃ丁寧に感謝してくださってた。
猫が飯をせがむ時によく鳴くので、もったいないと思い録音しておいて、その鳴き声とモヤさまのナレーションみたいな自動音声と一緒にねこちゃんプラザというラジオ番組を作ってサウンドクラウドにあげたりもしたが、宣伝してないので当たり前だが聴かれることがないので全三回で終了し削除した。居酒屋でバイトしてた頃は粘土にハマっていたので、店長の送別会で店長の首から上を模した首の像をオブジェしてプレゼントした。毛髪がないので簡単だった。小学ニ年の頃粘土で一等賞を獲って市役所に置いてもらったこともあるのでおれは陶芸家にでもなるべきだった。卒アルを見返してみると将来の夢を記すページに「漫才をやる人になる」と、漫才師と書けばいいところを、当時から心配性で、人の知性を信用してないので、ちゃんと伝わる様に迂遠な言い回しを使ったことを思い出した。説明過多になりがちなのは未だに傾向としてあるので気をつけている。散歩にハマった時期は三日三晩寝ずに80キロ歩いたこともある。なんでこんな事やってるんだと気づい終盤20キロぐらいは両足を引きずってて、闇に飲まれた私は無施錠の放置自転車を探していた。見つかったが両輪ともパンクしてて舌打ちした。
私はいま音楽家になりたい
瀬戸さんのシンセサイザー動画を見たから。このシンセサイザー10万ぐらいする。
前にオリジナルロボ募集のイラストコンペで描いたやつなんですが昔のほうが絵が上手い
現時点の画力
バンドやろうぜ
さようなら