実家がバイク屋なんですけど自分が小学生ぐらいの頃自宅の一階の修理場になんとなく降りたら、父親が太い針金をグイグイに曲げてまさにこんなの↓作ってたんですが
訊いてみると、クリスチャンの家系らしく十字架を作ってた、とのことで、縦軸と横軸が重なる箇所に細い針金を巻いて固定させ、十字架のテイを保たせていました。
縦軸をそのままトグロをまく要領で降ろし、自立出来るようにした効率的な仕上がり。
幼心に、バイク修理として溶接とか毎日やってんのにクオリティーひき~~、と同時に、奇妙な現場見ちまったなって気持ちでした。
4台も十字架を作ったのは住まいの各所に置くためだと。
最後に、出来上がった銀色の十字架4台を並べて白のスプレーを吹きかけていたんですけど、暫くして、違うな、みたいな顔になって、その上から黒のスプレーをかけて、結局それが完成品となったのが恐ろしかった。今思えばほぼ悪魔崇拝のモニュメント。
クリスチャンあるあるなんでしょうか、土曜学校ってのがあって毎週土曜に近所の教会へ聖書の物語を学習するみたいなやつで、VHSのアニメ教材やら紙芝居みたいなのを見せられた後、印象に残ったシーンをクロッキー帳に回想とし描く工程があり、描き終わるとそれぞれ完成を伝えに神父のそばへ行き、なぜこのシーンを描いたのか、このシーンを見てどう感じたのかを神父に説明しなければいけないゲロめんどくさい一連の流れがありました。
問題は最後の神父との面談のところで、毎度毎度クロッキー帳を見せる度に説明を求める神父の顔がこちらに近くて、しかも彼の吐息が内蔵全部終わってんのかっていうぐらい臭かったのでずっと呼吸を止めてたのを超覚えてる。
当時は当然のように神の存在を信じていたので、家に帰ってから、眠る前に手を合わせ「神父さんの息がくさいと思ってすいません」と平謝っぱだった。
日曜はミサで、祈りの言葉を読みあげる皆の言葉「我らを救いたまえ」の「たまえ」の部分が命令調っぽくて、むちゃくちゃいやだったので、帰ってちゃんと「みんなの言葉遣いが悪くてすいません」と皆のぶんまでしっかり手を合わせて謝ってあげていた。健気やん。
さようなら