ゴムボート

水木しげる

夢にそういうところがある

 

トランクも閉まりきってないほど荷物ガチ詰めで、ルーフの上にも四角いカバンを二三個載せたタクシーが、パトカーに停められて職質を受けているという光景を今朝夢の中で見たんですが、夢の中でもその光景について

「荷物をあんなにも載せたタクシーも珍しいが、タクシーがパトカーに停められてんのも珍しいなあ」って通常の感想を抱いていて、目覚めてから、そういえば夢の中でのさっきのおれ、目覚めてるときの現実の尺度で光景を眺めてたな。って思ったらなんか夢見損だなって思った。

夢のなかの夢ならではの酔狂な自分であればなんとも思わずスルーしてるものだというのがあった。といっても明晰夢ではなかった。

 

引っ越す時に荷物になるなあと思ってた自転車と、ミキサーをネパール人が貰ってくれることになった、という夢をみたことがある。

その自転車が今使ってるママチャリより2代前の盗まれたママチャリだったけど、そこについての気づきとかなくて、そしてミキサーはそもそも持ってはいない。

その夢の中にいたとき「このチャリ2代前の盗まれたやつやん」なんて気づきも感慨もなくて、夢の中では夢の中の常識があってその常識を常識と意識することもなしに素っ気なさすぎるほどそれとなく立ち回って、目覚めたときに、そういえば、って思い出す。そもそもミキサー持ってないしとか。

小学生時分の友人と高校生時分の友人が相まみえてて、そこに居合わせる夢の中の自分は別になんとも思ってないけど、目覚めた時にはじめて、あいつとあいつって接点あったっけ?ってなる。ない。

ふざけてる奴を見た時に使える例えツッコミ

「茄子背負った蛸ぐらいふざけとるな」ってのを夢の中で思い付いて、夢の中でこれは凄い、おれは天才。って夢中ならではの酔狂で自画自賛をして、目覚めてすぐにメモったんですが、どう考えても例えになってないしなぜこれを喜んでいたのかもわからない。

 

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こういう気持ち悪いバラバラ死体があって、胴体の上にだけ布のようなものが浮いていて、それがなぜそうなってるのかを、しっかり説明してくれる人がおれのそばに居て、その説明を聞いてたら、ちゃんと気持ちいいほど合点がいったという夢を見たんですが。

その夢の中での納得は、あくまで夢の中においてのみの整合性で現実では千パーまかり通らないやつ。ってのは目覚めてから気付くんですよね。あのスッキリするほどの合点がいった感じのやつが嘘だったときの虚無感たるや。あれのことを空悟り(からざとり)と名付けます。普通にいい命名だと思う。

さようなら