昨日知らないおっさんに後を付けられた。
おれは歩きながらでないと本を読めない。じっと座ったまま本を読んでいると、手元の本ではなく、本を読んでる自分の隅々に思いがめぐり、ひとしきりめぐり終わると、その意識は身辺のいたる所へ飛び火し精読できない。
表で歩きながら本を読めば、余分な意識は足に使われ、自意識の出る幕が降り、非常に読みが捗る。散りやすい気を足へ集めている隙に本を盗み見る感じだ。
まずこの悪癖がおっさんに付けられることになった原因で、おとなしく家の布団の上やら椅子やらバランスボール、上がり框などに乗って読書をしていればおっさんに遭うことすらなかった当然。
この日も日中は人々の往来豊富な道を、人通りの全くなくなった深夜を見計らい表へ繰り出した。街灯がほどほどの間隔で立ち並ぶマックスバリュまでの直線2キロの道路沿いの歩道をいつも選んで読み歩く。
歩きながら読めば読みが捗る。と上記したものの意識散漫な自分は本に注力しながらも、途中にある信号、極稀に向かいから走ってくる自転車を意識しながら歩いている。
読んでいる本の面白さがだいたいいつもそこそこなのも手伝い、運良く完全な没入には浸ったことはない。本が面白すぎたら、没入の末に車に轢かれる、植え込みを踏み折る、中華料理屋が店口に出していた廃油の入った一斗缶に足をぶつけていたことだろう。
片道の中程まで来る。街灯がなくても映えるような黄色一色のTシャツを着て、変に高さのない白キャップを被った浅黒いおっさんが、頁に目を落としながらも視界の右隅に見えた。
おっさんはもう開いてるはずもないスポーツジム入口の庇の下に立っている。おれはもう本の頁に視線を落としながらも内容など入れず、おっさんの異様な感じに全意識の枝を向けていた。
庇の下のおっさんとすれ違う時、おれはチラとおっさんを見た。おっさんはおれがチラ見をする以前からおれを見ていた固さの視線を向けていた。
恐怖したが、それが歩幅に出るのも癪だ。と、得意の自意識芸が発露し、なんともないぜみたいに先程までの緩やかな歩調で本の続きへ向かう、のだが勿論ただ開いて俯いてるだけで、先程のおっさんの異様な出で立ちと視線が剥がれない。
それにだ、明らかに、さっきのおっさんのが付いてきているのがわかり、尚更本を読むなんてしてられなくなった。振り返るまでもない、此処まで誰ともすれ違ってない、路地もない道に、後ろにいるのはあんただけだと。
15メートル先の左手に横断歩道が見え、ここで折れることに決め、もう本は下ろして歩む。着いすぐさまに渡れると思えば、向こう岸の赤信号に停められた。
顔を左に向けると黄色のTシャツを着たおっさんが、やっぱり居た。
おっさんも赤信号に止まったというわけではなく、体をこちらに向けてじっとおれの顔を見ていた。たまたま進行方向が同じだったという様子は一切ない。
妙な出来事に少しヤケを起こした人間は社交的になるものだ、自分はその勢いに任せ「どしたんですか」と訊くと、おっさんは、要領を得てないみたいに首だけをこちらに突き出して、ポカン顔を作った、ので、おれはもう一度同じことを訊いた。
おっさんは急に歩き出し、横断歩道の縞と赤信号に停まるおれとの間をゆるりと抜けながら
「たのしーのかなって思って」と目線を外しながら言った。
本は歩きながら読まないに限る。
さようなら