読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゴムボート

ドデカミン

価値は存在してないかもしれない

気づけば5年以上Tumblrをだらだら見てしまってるんですが

f:id:araihama:20170318062544p:plain

↑上記の服がだいぶ前からよく散見されるんですけど、これむちゃくちゃ凄いことやとしみじみ思う。

カットソーとか長袖のスエットの肩から裾にかけてのラインに、梵字とかゴシック調の、こちとら判読不能文字が羅列してあるやつ。

そういったデザインのやつはだいぶ前からあったのですが

そーゆー服ってたいていダサさの権化として、ダサさの金字塔、ダサさのベストセラー、ダサさ定食として存在してるもんだと思ってたのが、昨今なんかヨイ感じとされて来ていてこれは感動もの、と受け取ってます。

つまり「ダサい」なんて価値観がこの服にそもそも織り込まれて無くて、ダサいな~と思ってた人がおったってだけであって、たまたま「ダサいとされてるこの服、もしかしてヨイんでは?」って言い出した勇敢な者があらわれてね。

結局ねーこの世には価値ってもんが存在して無くて、それをえーかわるいかを決める自分がおるだけみたいな。成否はなくて誤読しかないと。これニヒリズムっぽいな。

それに驕慢に「つまり」と要約に取り掛かった割にまとまってない。

 

アメトークで「オシャレわかんない芸人」みたいな印象的な回があって、その代表格としてひな壇に有吉さんとか若林さんが(自分は芸人に「さん」を付けるタイプの人間)いて、司会側の席にたしかオリラジのあっちゃんじゃない方とモデルみたいな人がいて、序盤はその二人にレクチャーされる形で、あれこれと「ださいな~」「そうじゃない」と言われ続けるような流れがあったんですが、次第におしゃれわかんない芸人側が「そもそもオシャレをするってオシャレじゃないよね」と、「オシャレ」の定義を思想的なところに押し広げて、即物的な捉え方からしか「オシャレ」を語れてなかった二人は、その意見に圧倒されて完全に上下関係が逆転してしまう痛快な流れがもんの凄く良かったんです。

まあでもさいしょっから、オシャレ分かんない側は、番組上の展開を見越して、折れてあげていて、次第に巻き返していっただけのことなんですが。

肩から裾にかけて理解できない文字の入った服が流行ってるのはたぶん「オシャレなんてダサイことしてたまるか」の表明やと思います。筆箱代わりに輪ゴムで筆記用具を束ねてる奴みたいな。

いややっぱそこまで考えて着てないね。

でも、肩から裾にかけて理解できない文字の入った服も流行りすぎて飽和したら、モードに回収されてまた同じイタチごっこの繰り返しとなるんですが、この無限ループ面白い。

この調子で、ダサさの宿命、レッテルを背負わされた服が無くなったらいいな。

 

 

さようなら