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ゴムボート

ドデカミン

趣の強い言葉に逃げたくなる

 

短歌とか好きなんですがそういった詩とか文章書くときにドラマ性が強い言葉に頼ってしまう、結果、頼るこずるい自分が嫌になります。その度に自分の引き出しの少なさに幻滅します。

まあでもこれ、それなり、下手なりに文章を書くのが好きな人がぶちあたる当たり前っちゃあ当たり前の面倒事ですね。

 

女性詩人が間接的な言い回しで生理を描写した詩を読んだときの、あの感覚、昔オンエアバトルで、上位5組のうちの2組が、ドラえもんサザエさんネタだった時の、あのかんじ。あ~あやっちゃったみたいな。

でもやっぱベタって強い。「夜」は、普段からべらぼうに使いたいんですがなるべく使わないようにしてます。「夜」使い勝手いいしお手軽にドラマになるんですよね。

「闇」なんて使ったことないけど、やっぱそれが差し込まれただけでダイナミックになっちゃう。誰が使っても、絶対的な情緒が生まれるのが約束されてるから。

下ネタが誰の口から吐かれてもそれなりの笑いは保障されてるところにかなり近いと思ってます。そう考えでいったら「愛」とかもド下ネタですよね。使うのをためらって当然。

「路地裏」とかの場所を指す言葉も一定のドラマ性が保障されてるので、使いたくないし「街灯の下」なんて今使ってる人居ないのでは。まじの実体験として、そのシチュエーションに事実出くわしたとしても、その言葉を避けて描写することを選びたいと自意識がそのように迸ってます。

その、使うのをためらうか、否かの中間にあったのが「コインランドリー」で、それも最近になって、やっぱ「コインランドリー」使うの卑怯やな、ってなっちゃてもう「土俵」とか「ヘリポート」ぐらいしか残ってないんですよね。

 

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