ゴムボート

水木しげる

帰ってきた

通勤時利用する地下鉄入口付近にホームレスのおじさんがいる。たぶん結構昔からいる。いつも簀巻にした布団に腰掛け、ただじっと座っている。立っているのは見たのはここ4年で2回ほどしかない。その2回は近くのビルの庇の下での雨宿りだった。

ちょいと前、そのホームレスのおじさんが珍しく突っ立って、横断歩道の方に体をむけたまま素早い手振りを交え何か自論らしきものでまくし立てていた。とはいえその方向に信号待ちの人達などいなかった。

おじさんはプロパガンダ系になっていた。たまに見かけるあの、空(くう)に向かってはっきりと話しかけるその人になっていた。

と思ったら一ヶ月後、以前のように簀巻の布団に腰を下ろしつくづく座っているおじさんに復帰し今に至る。昨日もそうだった。

自意識を失えたものは幸いだ。客観など無くなるのだから。だがおじさんは帰ってきてしまった。お節介な自意識が羞恥を提案してきたのだろう、なんと無粋な。バカが。KY。グズ。ガム。文房具。小冊子。

私はおじさんが自意識というしがらみ、自意識という地獄から抜け出そうと足掻いている様を毎日のように目撃していたことになる。事実私はおじさんが急にプロパガンダ系になったのを目撃したその日、勿論たまげはしたが「おめでとう、そっちに行けたんだね」とすら思った。あれが私の未来であってほしいとも思った。

私は自己否定の傾向が強いのを自覚しているので、意識的にそんな自分へ大口を叩くなど、自分を過剰に褒めそやすなどをしている、それでトントンになるとは思ってないが、卑屈に内に窄まって捲れあがるよりかはマシだということで、その処方が正しいことを切に祈りつつ「己はすごいねえ」「おれは最高」「私は面白い」を自分に言い聞かせている。

しかしその屈折した自己肯定が自己否定を押さえ込むどころかプレッシャーになって、自信を無くす事が多々あるため、結局、この地の自意識の根強さにほとほと呆れ、自己否定に還る。そのサイクルのみが人生であるといった思いがあるため束の間ではあるが、プロパガンダ系になったおじさんを羨望の的にした。私は私しか攻撃してこないこの自意識が恨めしい。きょうも私はどうせ、自意識にうまくやり込められた、ただ座っているおじさんの前を通るのだろう。

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現在第五回オモコロ杯に送るマンガを描いているのですが、前回佳作だったマンガを読み返したらゲロのようなつまんなさだったので、あれで佳作がとれるなら今回も佳作もしくは頑張ったで賞は取れるだろうなと自信が湧いてきました。去年のおれありがとう。応募総数8ぐらいであってほしい

 

さようなら